タイ国障害児のための財団横浜連絡事務所(以下FHCY)では、1993年7 月31日(土)から8月9日(月)までl0日間の日程でCBR(地域に根ざしたリ ハビリテーション)活動を中心にタイ国の福祉事情、現地でのカウンターパート ナーである障害児のための財団(以下FHC)の活動調査のためスタディー・ツア ーを実施した。
さらに、北部山岳民族の村を訪問し、ボランティア活動を通した交流と障害 児の実態を調査する機会が得られたので、このこともあわせて報告する。
<日程>
7月31日 バンコク経由チェンマイ着
8月 l日 チェンマイ 障害者作業所(見学,調査)
8月 2日 国立養護施設(見学・調査)
8月 3日 チェンライ アカ族パーンコーン村(障害児訪問調査)
8月 4日 同上
8月 6日 ウドンタニ スィブンルアン郡(農村部CBR活動調査)
8月 7日 バンコク ヤナワ地区(スラムのCBR活動調査)
8月 8日 政府障害児施設(見学・調査)
8月 9日 成田着
<参加者>調査報告者他14名
<スタディー・ツアーのテーマ>
l. タイに於けるCBR活動見学
aスィブンルアンに於けるCBR
bバンコクに於けるCBR
2. 山岳民族の村訪問
a村民との交流
b障害児の実態調査
3.施設見学
aチェンマイの乳児院,障害者作業所
bバンコクの国立重症心身障害児施設
<目的>現地のCBR活動の状況を把握し、FHCYが今後どのような援助が可能か を探る。
l .タイにおけるCBR活動見学
CBR活動とは、 Community Based Rehabilitation (地域に根ざした リハビリテーション)の略で、アジア、アフリカを中心に世界25ケ国以上で実施 され、そのうち13ケ国は政府のリハビリテーション・プランの一部となっている 。 PHC(Primary Health Care)は、WHOの「2000年までに万人に健康を」の 政策の一環として、開発途上国で広く採用された。このアプローチをリハビリテ ーション分野に応用したのがCBRであり、多くの開発途上国で実践されるに至 っている。
CBR は、リハビリテーションという言葉のため、障害者に対する機能訓練を 地域で行うものと誤解されることがある。しかし、本来の主旨は、このような狭 い意味ではなく、社会全体の変革を目指すものである。障害を持つ人々は各種の 不利益や不平等に直面するが、これらは、主として障害者に対する社会の在り方 によって引き起こされたものである。これらの変革は、外部の力ではなく、変革 を必要とする人々が、その必要性を認め自らの責任で行われなければならない。 つまり、変革の責任をとらなければならないのは、障害を持つ人々が生活してい るコミュニティーそのものであり、これがコミュニティ・ベースの意味となる。
また障害を持つ人々に対して開かれた社会を築くならば、行政の各レベルに おける社会のあらゆる部門が、この変車に参加する必要がある。従って、CBR では障害を持つ人々の二一ドが、国が実施する社会経済開発の制度や機構の中で 満たされなければならないとしている。それは草の根レベルで始まるものであり 、家庭やコミュニティーで、できる限り多くの二一ドを満たすことである。社会 の共同活動やADL (Activities For Daily living)、日常生活、機能訓練、言 語訓練、障害児の早期療育、所得創出(家内工業)はここで行われなければなら ない。
CBRを推進するための政府やNGOの役割は、人々の対する啓発活動、人 材の育成等と考えられる。そこで今回のスタディー・ツア一を通して、FHCY が行う支援についても考察した。
主要な刑事と民事事件が処理される裁判所
タイ全土には73県あり、その一つ、ウドンタ二県は東北部にある。ウドンタ ニ県には、21 市2郡があり、2郡のうちのlつがスィブンルアン郡で、 l l区,136 村、人口は102135 人、幼稚園2、小学校84、中学校2、公立病院l (郡病院 ・30 床)がある。公立病院内にFHC事務所があり、この地域のCBR活動の拠点と なっている。スタッフは3 人(サマンヤ、ユタシン、バムワンの各氏)。今回訪 れたサイモン村(人口8516 人)には、 13人の障害児(者)がおり、FHCは そのうちの4人を担当している。FHCの業務は、障害児の療育、両親への指導 等であり、障害者(成人)に対しては、工芸品製作のための物資供給援助を行っ ている。
FHC事務所がある病院の全景
ケース見学<l>スリヤ君 ll才 男児 脳性麻痺
CBRか成功したケースとしてビデオで紹介されている。4年前は寝たさりで、 生活(AD L)は介助レベルだった。FHCの支援のもと、おじいさんの手作り の訓練道具を使って歩行が可能となった。訓練道具は遊びを通して 下肢伸展筋 や上肢筋力が強化できるようになっている。この道具は村に住んでいる他の脳性 麻痺の子供達らも利用している。
ケース見学<2>トンインセンファイさん 37才 男性
脊髄損傷木から落ちて受傷した。車椅子マラソン参加のため日本に来たこと かある。現在、小物を製作し生計を立てている。 FHCの役割は、原料と販売 ルートの確保である。
スリヤ君の訓練道具
保健所見学
保健所は各区にlか所ずつ設置されている。その主な目的は、病院へ行く前 に可能な限りの処置を行うことである。スタッフは現在3人、仕事は、障害予防 、母親に対する教育、啓蒙活動で、特に障害予防を重視している。障害予防の手 段として、予防接種(BCB、ジフテリア、破傷風、ポリオ、肝炎など)や新生 児発育検珍(3カ月に一度、身長,体重測定)を行っている。
<考察>
スィブンルアンに対するFHCの活動は、ビデオにまとめられるほど成功した 。FHCは障害児を対象にしたNGOであるため、CBRの本来の日的である障害者全体 という訳ではない。 しかしながら、ケース2のように一部成人に対する援助 も行われているようだ。スリヤ君の機能訓練は、公立病院のPT (理学療法士) が親およびFHCスタッフに指導し、彼らがホームプログラムを行っているとのこ とで、FHCがコミュニティ・ワーカーの役割を担っていることが理解できた。こ こで注目するべきことは、これらの訓練道具が祖父の手作りであることと、それ を祖父自身で考案している点である。これらの道具は、下肢の伸展筋力を強化す ることを目的としたものが多く、屈曲傾向が強いスリヤ君にとって適したものと 思われる。さらに材料は木で、安価であることも良いことだと思う。スィブンル アンは、モデル地区であり、現在は「点」の活動である。今後、「線」から「面 」と広がることを期待したい。
ミシシッピ川はどこから始まるか
保健所
2.ヤナワ地区のスラム見学(8月8日)(バンコクにおけるCBR活動)
ヤナワ自助委買会コミュニティー・リーダー、マチョンロンさんの説明を受 ける。
チャオプラヤ川に面したクロントイ港に沿って広がるスラムの一角に、FH CがCBR活動を行っているヤナワ地区がある。狭い道路は複雑に曲がっているが 、コンクリートで舗装されていた。これは、国連の援助によるスラム環境改善事 業が1980年より3か年計画で行われた結果である。この成果をまとめたビデオ"Urban Development Project"によるろと、道路,家屋・食料・医療・飲料水などの 問題に対して、住民も整備事業に参加したとのことであった。この結果、住民の 環境についての認識を高めることができた。
ヤナワ地区に於けるFHCの活動は1992 年からであり、障害者のリハビリテー ション、社会活動援助などを行っている。現在、ヤナワ地区には、24のエリアが あり、そのうち17のエリアで障害者が住んでいる。 FHC事務所は週3回職員 が勤務している。
訪問
イエンアカート2 エリアの図書館
チュワプルン・ハタナー・エリアのmini health center アルミ缶を使った 飾りものや足拭きマットの製作を、障害者などに指導している。製品は20〜13( バーツ)で売られていた。
ワッチョンロン・エリアの5才の女児。脳性麻痺。
親がホームプログラムを行っている。病院へ行くのは4ケ月に1度。FHC がフォローしている。
<考察>
スラム環境改善事業によって、かなり改善が図られたが、屋内が狭いなど問 題も多いように思われた。スラムにおけるFHCのCBR活動は村と同様に障害児 の発見から始まり二一ドの達成(経済的援肋)、技術指導へ進むようだ。
2 .山岳民族の村訪問(8月3日〜8月5日)
タイ北部山岳地帯には約55万人の山岳少数民族が生活している。今同訪れた アカ族の村(パンコーン村)は、チェンライから自動車でl時間、さらに徒歩3時 問程の標高900mのところにあった。彼らはl 0年前にビルマから移動してきた人 々で、 60 戸.600人で一つの村を形成している。主な産業は、山地を利用した 焼き畑農業で、穀物を栽培している。
現在、彼らにはタイ国籍がないなど、人権問題・医療・教育などのサービス で多くの問題を抱えている。その一方で、村と町を結ぶ山岳道路の建設で、村に おいても商品経済の波が押し寄せている。今回の訪間はHWP (山岳民族女性教育 及び開発プロジェクドの豊田氏によって実現した。HWPの目的は伝統的に軽んじ られてきた由岳民族の女性に対して、教育を通して能力開発を行うための支援を することである。パンコーン村の家は、木で作られた高床式で、窓がない。その ため日中でも家の中は暗かった。村に電気はなく、自家発電装置のある家が1〜2 軒あるのみだった。この村には小学校があり、隣接する村の児童も、この小学 校に通ってくる。中には約3km離れた村からも通学しているようである。児童数 は200 人、授業はタイ語で行われている。村には中学校がないため、中学校は町 に行かなくてはならないが、タイ国籍がないため卒業証書がもらえないという間 題がある。
パンコーン村
現在、パンコーン村には、小学校以下の子供は多いが、その上の年齢(中学 、高校生)の子供達が少ない。なぜならば、彼らは町へ働きいってしまうからと のことであった。村の農業は穀物生産ばかりでなく、商品作物(しょうが,トマ ト、コ一ヒー、桃、梅など)も生産するようになった。これらの商品は、村に経 済的な豊かさをもたらす反面、経済的格差の発生や土壌の衰え(農薬の多量使用 〉などの問題も起きている。
パンコーン村での活動
<午前> <午後> <夜>
8/3 村に到着・子供と遊ぶ 歓迎会
8/4 ボランティア活動 フリー・散歩など 交流会
畑の棚作り 障害児宅訪問調査
8/5 交流会, チェンライヘ
大麻とは何か
ボランティア活動は、畑に動物が入って作物を荒らされないように、竹製の 棚を作ることだった。交流会ではお互いに質問したり、意見交換を行った。 パ ーンコーン村に住んでいる障害児訪問パーンコーン村に住んでいる障害児の家庭 を訪問し、何かしら援肋ができないか検討した。
小学校
ケース<l> 7才の男児。脳性麻痺。
立ち上がって数歩歩けるが、すぐふらついてしまう。しゃべれないが、言語 理解は可能である。 立位姿勢は、腰椎前湾が強く、腹筋と下肢筋に弱化があっ た。そこで、寝返りやしゃがんだ姿勢から立ち上がる練習を父親と一緒にしても らい、今後も続けてもらうようお願いした。一般的に山岳民族の村では父親の権 威が強く、父親の協力なしには何事も進まないようである。さらに、これらのプ ログラムをフォロ一してもらえるようHWPのスタッフに依頼した。
ケース<2> 4才の男児。脳性麻痺。
座位保持可能だがハイハイが不可。母親は他に2 人の子(1才と生後2 ケ月) の世話をするため、ケース男児に対して何もしていないとのことだった。父親は 協力的でなく、まず家族の協力が必要と思わえた。
<考察>
交流会ではお互いの生括習慣などを話し合い、同じところ、違うところを認 識できた。障害児訪問は、社会的背景として男性優位なこれらの村では、父親の 協力が不可欠であることを改めて感じた。窓がなく昼間でも部屋の中が暗いため 、視力に何か影響を与えるのではないかと思われたが、眼鏡をかけている人はい なかった。
3 .施設見学
l . ワット・ウモン Handicapped Workshop (8月l日)
Sinchai氏(視覚障害者、PT(理学療法士)として病院に勤務している)の説 明を受ける。
チェンマイにある寺院、ワット・ウモンの敷地内にある民間の作業所で、開 所して13年になる。現在の入所者は、男性4名・女性6名であり、全員が、併設さ れている男性寮・女性寮にて宿舎生活をしている。出身地はチェンライ・チャン マイなどで、疾患はポリオ・脊髄損傷など。移動手段として車椅子・松葉枝を利 用している。作業場は15mX8m程の広さを持ち、床の上に個人の作業机が整然と並 んでいた。
この施殻に入所する目的は、仕事(工芸品製作)を習うためであり、入所基 準は特にない。主な工芸品は、ヤオ族の刺繍・籐細工・人形・絵画・絵はがき・ ブローチなどで、これらは寺院の入口にある売店で売られていた。給料はなく工 芸品の収益が彼らの収入となるため、収人は各個人によって異なるとのことだっ た。(売り上げのうち3%を食費として寺院に支払い残りが、個人の収人となる )入所者のうち実家のある人は、長期間(3 〜4ケ月間)家に帰ることもあり、 それらは自由に決めることが出来る。この施設は寺院から補助金を貰っている民 間の施設だが、チャンマイは政府援肋施設がlケ所ある。
<考察>
上述したように、チェンマイには政府援肋施設がlつあるが、この作業所は 政府の援助を受けていない。このため、寺の援助を受けて運営が成り立っている 。寺としては作業所運営および本人の経済的自立を願っているようだが、現在は そこまで至っていない。タイにおいては、障害者のワークショップは極めて少な く、CBRの発展は地域に住む障害者の二一ズに答えるうえで必要であろう。
ワットウモン
2. 乳児院(チェンマイ・レセプション・ホーム) (8月l 日)
これまで、家庭の貧困や両親の病気・不在のために生きていけない子供たち (乳児)は、バンコクの施設に送られていた。このため、子供たちの身体的、精 神的負担は大きかった。この施設は、北部タイ17県出身のこれらの子供たちが、 バンコクまで行かなくても良いように、第二の郡市チェンマイに1986年6月作ら れた政府施設である。
乳児院に入所する理由
・ 両親がいない 26%
・ 親か犯罪を犯した 21%
・ 両親の離婚 20%
この広大な土地に養護施設も併設されており、建物は新しくきれいである。入 所者は6才以下の子供で、現在250人。費用は無料である。ほとんどの子供たちは 健常者だったが、数名、脳性麻痺や骨形成不全の子供、エイズ.ウィルス感染児 も含まれている。毎日のスケジュールは年齢などによって異なり、 l〜2才児に 対しては、生活指導や言語指導、 3〜6 才児に対しては、教育、しつけなどを 行っている。スタッフは7人で(ケースワーカーl人、教師4人など)、他にボラ ンティアが多数仕事をしている。里親制度がありフランス、香港、アメリカで元 気に生活している子ゴ供たち写真が壁に多数飾られていた。 しかし、日本から の申し出はこれまでなく、これらの構報を伝えて欲しいと我々に希望していた。
<考察>
玩具は良く整備されていたが、壁に絵などがなく、殺風景に思われた。しか し、床にPタイルが張ってあり、清潔で、タイで見学した施設の中できれいな感 じがした。養子として外国に行くためにはHI V陰性であることが必要であるこ ともふくめて、エイズ・ウィルス感染児の増加は大きな問題のようである。全国 にこのような施設が2 ケ所しかないため、国内の二一ドを満たしているとは言え ないと思った。
乳児院
3.国立の重症心身障害児、知的障害児入所施設(Home for mentally handicapped children )
1976 年12月15日に設立された当施設は、7才〜18才までの精神に障害があ り、貧困または両親がいない子供たちのための施設である。定員は600 名で、タ イ全国より集まっている。
この施設の目的は、障害児に対する基本的サービスの提供、身体的・精神的 サービスの提供、教育、職業訓練や職場の提供である。スタッフ以外に各国から のボランティアによって生活指導・理学療法,言語治療などが行われている。こ れらのボランティアは各国より派遣されており、任期は3 ケ月である。現在、個 人的な老参加によるボランティアの活動はない。 FHCなど民間団体も、数年前ま で各種プログラムに関わっていたが、政府の、判断で現在は中断している。部屋 は大部屋であり、子供の能力によって分けられている。 子供の能力とは、寝た きり、坐位が可能、立位が可能、トイレが自立、生活が自立などであるようだっ た。最も重症と思われる部屋には30 ベットに対して73人の子供がおり、6人のス タッフで食事介助をしていた。入所している子供たちの将来について、家族が引 き取る場合は家族ヘ、適当な職業に就いた場合は退所するが、多くは国立の成人 施設(バンパコーン)ヘ行くことになる。しかし、ADL 自立が不十分ということ で断られることもある。そのため、この施設内に成人施設を作る計画を立ててい る。
国立の重症心身障害児施設
<考察>
FHCYのスタディー・ツアーでは、l年前にも、当施設の見学を行ったが、そ の時と比べ施設が新設され、充実しているのに驚いた。(学校へ通っている子供 たちの施設と体育館兼理学療法室が新築された)国立で唯一の知的障害者に対す る施設であり、施設型リハビリテーションの象徴のように思われた。タイでは、 一方ではCBRという地域を中心に置くリハビリテーションと同時に、施設型リハ ビゾテーションか混在していて興味深い。この施設では一部の子供たちはコンク リート床上での生括とのことで、日本との格差を改めて認識した。
まとめ
タイ国に於ける障害者の生活を急いで見てきた。予備知識に乏しかったため 、現在振り返って見ると、調査不足の筒所の多さを感じている。各地の訪問で気 づいたことは、障害者(児)が入所できる施設が、わずかではあるが整備されて きたことと、それを運営するスタッフの不足である。これらは経済的理由による ところが多いらしく、これまで「日本の援肋が施設の整備や金銭協力中心であっ たこともよく理解できた。しかしながら、今後の協力方法を考えると、障害者を 施設内に閉じ込めてしまうのではなく、地域の中で健常者と一緒に生活していく 方向へ変えなくてはならないと思う。CBR はこの目的のために適した方法と考え られる。
新しい訓練道具
今回のFHCYスタディー・ツアーに同行しての調査にあたり、郵政省のボラン ティア貯金」より援助をいただきました。、ツアーおよび調査のコーディネート を、タイ国障害児のための財団(FHC)のスタッフと山岳民族女性教育及び開発 プロジェクト(HWP)の豊田氏にお願いしました。各地で村人の歓迎を受けまし た。以上の皆様に感謝いたします。
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