日本におけるうつ病の総患者数は2008年段階で100万人を超え、やはり100人に1人ほどの割合の病気。
(以下、同様に国内の患者数 / 厚生労働省統計と専門医の見解をもとにした)
統合失調症の患者数は40万人とされているが、発症していても病院に行かない人、病気を隠している人が存在し、世界的な発症率から実際にはうつ病と同程度の100人に1人ほどの割合で患者がいると考えられる。
喘息の患者数も100万人ほど。
白内障の患者数は130万人ほど。
ガンの患者数は140万人ほど。
C型肝炎は肝炎症状のない持続感染者(キャリア)を含めると推計150万~200万人。
パニック障害は200~400万人の患者が存在すると推定され、なかでも30代女性に多くの患者がいると言われる。
糖尿病の患者数は250万人ほど。
高血圧疾患の患者数は780万人ほど。
慢性腎臓病の患者数は1,300万人ほどで、透析患者数は26万人を超える。
ここに極々限られた病名だけを挙げましたが、ひとりで複数の病気を患っている者がいたとしても、患者数を積み上げて行くと持病を抱えている人が実に多いことがわかると思います。
「医者に行くのはインフルエンザのときくらい」という健康体は、とても恵まれた稀なる人たちではないかと思えくるほどです。
人々の物語や経験は、うつ病に対処する
症状が重い人は日常生活を送る上で支障が出て社会参加もままならない状態にありますが、前述したほどの患者数がいるということは隣人や職場や学校の仲間に持病を抱えている患者がいる可能性が実に高いことがわかります。
健康な人たちだけで日常生活をおくる世界が構成されているなど幻想であり、健康な人が " 圧倒的 " 大多数を占めているとするのも怪しい気がします。
これだけ病気の人がいることや、持病とはどのようなものかが、世間から知られているとは到底言えません。
大恐慌の子どもたち
うつ病を例にしてみます。
うつ病は1950年代に抗うつ薬が開発されるまで、電気けいれん療法(俗に言う電気ショック)や悪名高いロボトミー手術をするほか治療法がないとされ、病名に対してもとてつもなく大きな偏見を持たれていました。全身麻酔を使わない電気けいれん療法で筆舌に尽くし難い苦痛を味わった人、ロボトミー手術で廃人になった人はすくなくありません。
現在のように、異変に気づき心療内科に行ってみる、という治療への敷居の低さは微塵もなかったと言えます。
しかし、治療を受けやすくなったとはいえ、いまだに「なまけ病」、「うつは甘え」、「うつは心の風邪」、「精神的に弱いからうつになる」と言われ続け、抗うつ薬誕生から半世紀以上の時を経ても誤解が根強く残っています。
人の想像力には限界があり、実際に患者になってみないとわからないことばかりですが、誤解や偏見は治療のさまたげになったり、患者が不利益を被ることもあります。
そこで「病気を理解しましょう」と言われますが、想像力を補うための情報がどれだけ発信されているのかという課題はありつつも、いくら情報があっても「知る気がない」、「知りたくない」人が多数存在する問題があります。むしろ、他人のことなどいちいち考えていられないのが普通なのかもしれません。
シンスプリントのために迅速な治療
当ブログの「「区別して放置」の意味」にて、
〈持病や障碍も同様に、生まれた後に背負わざるを得なくなったものがすくなくありません。つまり、人生にはアクシデントがつきものです。〉
と書き、
〈そしてこの問題は、いま持病を患ったり障碍を持っている人たちだけのものでなく、明日アクシデントに巻き込まれるかもしれない健康な人にとっての課題でもあるはずです。〉
と問題を提起しました。
つまり「次はあなたの番かもしれません」という話ですが、たぶん多くの人にはどうでもよい内容なのだろうと限界を意識して書いています。
若い日の仏陀は、「生老病死」として表された四つの局面は人として避けて通ることができない苦しみのみなもとだとが看破しました。
これは仏教以外の宗教を信仰している人も、無宗教の人も共感できるものではないでしょうか。
しかし、「生まれ落ちたことによってはじまる苦しみ」以外は、往々にして他人事になりがちです。
なぜなら、経験していないことは想像で補うほかなく、人の想像力には限界があるのは前述した通りです。このようなことを書いている私も、もっとも実感しやすい「生まれ落ちたことによってはじまる苦しみ」でさえ、自分が経験したことに基づいて考えるのが精一杯です。
老いについては、若い人は老人に優しくないと責められがちですが、核家族化が進んで老人が間近にいない生活をしていれば老いについて想像できることが非常に限られてくるのはしかたなく、それでなくても若い肉体を持っている人が老いを自らの問題として想像するのはかなり難易度が高いでしょう。
死は自分の命が消えることとして想像しやすいように思われますが、入院患者を看取ることですくなくない看護師が精神的な衝撃を受け、人生観が変わる話を耳にすると、死に対する一般的な想像力とは何か問われている気がします。
「健康体が人として当然」という認識を変えてみるだけで、世界観などと大袈裟なことを言わずとも、自らの人生観や社会観が一変するのではないでしょうか。
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