大串さんと長男の光(ひかり)くん(2011年)
幼い頃から夢見ていたアフリカの大地。野生動物が生きる様を見つめながら自分も生きて行きたい。一人の女性がその夢にたどり着くまでには、あまりにも多くの苛酷な試練を乗り越えなければならなった。現在、野生動物の楽園であるアフリカのタンザニアに家族と共に暮らしながらサファリツアーの会社を営む大串安子さん。彼女が自分の夢を実現するまでに通らなければならなかった、その過酷な道とはどんなものだったのか。そして、仕事への思い、「夢とは何か」についても語っていただいた。
<プロフィール>
鹿児島県鹿児島市生まれ。
鹿児島大学付属小学校、同付属中学校卒業。
鹿児島県立鶴丸高等学校卒業後、鹿児島大学水産学部入学。
鹿児島大学水産学部中退後、ハワイ州立大学で動物学を専攻。
2年間のフリーターを過ごした後、JICAの海外青年協力隊としてニジェールにて感染症対策のボランティアに2年間参加。
一旦帰国後、タンザニアにある野生動物管理大学へ進学。そして結婚。
現在、タンザニア在住。
現地で結婚した夫と共にサファリツアーの会社「キリアクティブ・アンド・サファリ」を設立。今では、日本語を含め5つの言語を流暢に操る。
<キリアクティブ・アンド・サファリ>
手続き上の遅れがあり、現在、以下の旧社名で営業が行われています。準備が整い次第、社名が「キリアクティブ・アンド・サファリ」に変更される予定です。
アクティブ・キリトップ&サファリ
http://www.activekilitopandsafaris.com/
※大串さんの手による日本語ページとなっています。(もちろん英語ページもあります)
ご主人のムサフィリさん、光くん、次男の泉(オアシス)くん(2010年)
※泉とかいて「オアシス」と読むのだそうです。
-現在、大串さんはタンザニアにお住まいです。ハワイの大学を卒業されたと伺ったのですが、その意外な取り合わせにたいへん興味を持ちました。その辺のいきさつからお話を聞かせていただけますか。
大串さん:はい。鹿児島県鹿児島市で生まれ育って地元の鶴丸高校を卒業後に鹿児島大学の水産学部に入学しました。でも3ヶ月ほどで自主退学してハワイ州立大学に入り直したのです。というのも、私は小さい頃から海が大好きで、ずっと海の上で過ごしていたいっていう夢があったのです。鹿児島大学の水産学部は大きな実習船を持っていて、6ヶ月間ほどその船で過ごしながら実習できると聞いていたので水産学部を志望したのです。ところが女性はダメだということが分かりました。その船には女性用のトイレもお風呂もないので、女性は船に乗せられないということでした。だったら、ここにいる必要はないと思ったのが一つの理由です。もう一つは入学後の飲み会が多かった(笑)。それはそれで楽しいのですが、親にな� ��らかの理由を言ってお酒を飲むということに抵抗がありました。両親が一生懸命に働いたお金で飲んだくれていていいのかなって・・・。そういうことから鹿児島大学の水産学部を退学して、大好きな動物のことを勉強しようとハワイ州立大学の動物学部に入り直すことにしたのです。
-ハワイの大学ですから英語力は必須ですよね。
大串さん:はい。その通りです。だから、ハワイ大学に入り直すと決めてから、大学に行くフリをして図書館に通って朝から晩まで英語の勉強をしていました。そのうちに大学に行っていないことが親にバレてしまって・・・。父親が鹿児島大学の教授をしていたもので、教授仲間から「お宅の娘さん、学校来ていませんよ」って耳に入ったらしいのです。もちろん凄く怒られてしまいました(笑)。でも自分の思いと計画を説明して、なんとかハワイ大学を受け直すことを承諾してもらいました。
-やはり外国の学校となると、日本とは様々な面でシステムが違いますし、学費とか生活費の面とか何かとたいへんだったのではないですか?
大串さん:はい、大変でしたよ。せめて学費は自分でなんとかしようと思ってスカラシップを利用しました。セメスターの試験結果が定められた基準を上回ると、フルスカラシップという、まったく学費を払わなくてもいい制度があって、それを卒業まで取り続けました。
スカラシップとは?
奨学金。または、奨学金を受ける資格のこと。
セメスターとは?
2学期制の意味。学校の1年間の過程を半年ごとの前期・後期に分けて行う制度である。
大串さんが憧れたアフリカの大地を眺める
弊社スタッフ本山(セレンゲティ国立公園)
-それは凄いですね。それも、とりまく環境が全で英語の世界で。
大串さん:実は私が6歳の頃、1年間アメリカに滞在していたことがあって、それで英会話はなんとかなると思っていたんです。ほら、小さい頃って何も考えずに英語で会話していたりするじゃないですか。だから自分はある程度しゃべることができると勝手に思いこんでいたのです。なのでハワイに渡るときも英会話の本一冊たりとも持参しませんでした。ところが、実際にハワイに渡ってみると挨拶一つできない。それからはもう必死でしたね。講義も毎日テープに録って何十回って聞きなおして自分でノート作る。1日のリーディングの宿題が250ページ以上。1つのラインに10以上の知らない単語をひたすら寝ずに辞書でひきつづけるという生活でした。
-フルスカラシップを取り続けたということは優秀な成績だったわけですね。
大串さん:えぇ、何とか。ハワイ州を含めてアメリカ全土の大学で、上位3%に入る優秀な学生にオーナーオブスチューデントという称号が与えられるのですが、卒業時にはそれをいただくことができました。とにかくフルスカラシップがもらえなかったら夢を捨てて日本に帰らなきゃいけないと思っていたので、崖っぷちに立たされている心境でいつもがんばっていました。
-卒業後はどうされたのですか?
大串さん:日本に帰って2年間フリーターをやっていました(笑)。予定としてはアメリカの獣医学部に行きたかったのですが経済的な理由もあってそれを断念。それでいろんなことを知りたい、いろんな人と関われる仕事がしたいと思ってバイトのかけ持ちをしていました。そう思ったのは自分がハワイにいた時に自分の国である日本のことを何も知らないということに気づいたのがきっかけです。ハワイにいる時から日本舞踊、三味線、日本文学などを習ったりして、なるべく日本のことを知ろうとしていました。いずれ日本に帰ったら、いろんな人たちと接してみようと思っていたんです。テレビ局の方や学校関係の方たちなど、さまざまな分野の人たちと接する機会ができて「あっ、こういう考え方もあるんだ」「今の日本� �てこういうところなんだ」って勉強になりました。
"砂漠の王国"ニジェール
雨が降る前は世界が地獄のように真っ赤に染まる
人々の命を守るための大切な集会
村を巡回してマラリアの保健員を養成する講習会を行う大串さん
-フリーターを経験された後は?